2008/06
地図の原点君川 治



 道路特定財源の一般財源化で議論百出であるが、日本の道路が悪いのは徳川幕府の政策に起因するところが大きい。徳川政権は早くから五街道を制定して宿場や伝馬制度を整備したが、道路は人馬の通行のみとして馬車や荷車の通行を禁止した。従って道幅は狭くデコボコ道のままである。
 しかし、維新から140年経て宇宙ステーションが建設されている時代になっても道路が悪いのを家康の所為にしては、いささかかわいそうである。

 道路の基点が日本橋であることは多くの人が知っており、車が行きかう道路の真ん中に「日本国道路元標」がある。江戸五街道の出発点であった日本橋のたもとには歴史的な碑が沢山建てられている。日本橋はその昔から商業地として発達して人通りの多い場所であり高札場があった。そこに日本橋由来の碑がある。日本橋魚市場発祥の地の碑も建っている。道路の関連では東京市道路元標の大正ロマン風のガス灯がある。昔は道路の真ん中に立っていたようだ。その他に日本の道100選「道の起点としての日本橋」碑や日本の各都市までの距離を示した「里程標」などもある。札幌までが1,156km、鹿児島までが1,469kmである。
 現在の日本橋は長さ49mの石の橋であり、国の重要文化財である。江戸時代の木の橋の方が長く、約70mの長さがあった。重要文化財の日本橋の上に高速道路が覆いかぶさって風景を破壊しており、都知事の公約どおり早く移動して欲しいものだ。
 我々が使用する地図の第一は道路地図であり、地図の原点も日本橋と思っている人が多いのではないだろうか。しかし、橋は傷むと架け替えねばならない。この日本橋も江戸時代から20回も架け替えられており、地図測量の原点とするには覚束ない。
 地図の原点は、位置の基準となる「経緯度原点」と高さの基準となる「水準点」からなり、それぞれ別の場所に設置されている。
 経緯度原点は東京港区麻布の旧東京天文台跡にある。(写真上)国内の測量の基点となるもので、全国の三角点の緯度・経度はここの値を基準として決定されている。この基準点は国土地理院が管理しており「日本経緯度原点」の標識が埋め込まれている。数値で示すと次の通りである。
     経度 東経 139°44′28″.8759
     緯度 北緯  35°39′29″.1572                                          
 他方、日本水準原点は東京千代田区永田町の国会議事堂前の公園の中にある。(写真下)水準点であるから地盤沈下を起こさないように地下10mの岩石層の上に台石を設けて水晶板目盛が東京湾海面上24.500mと定められた。しかし関東大震災などの地殻変動で現在は24.4140mとなっている。
 この水準点が納められている建物は、工部省工部大学校造家科第1回卒業生の佐立七次郎の設計である。小さな建物であるが明治24年に建てられたトスカーナ式の石造ローマ風神殿建築で、近代洋風建築として建築史上貴重なものであるといわれている。
 経緯度原点は誰でも見られるオープンな元標であるのに水準点は何故見えないのか?
 6月3日の「測量の日」に因んで、年に1度公開される日本水準原点を見に行った。国土地理院の専門家が我々素人や学生に丁寧に説明してくれる。設置した時は東京湾の平均水位を験潮儀で長期間測定して平均海面を〇として決められている。登山などで山頂の三角点を見かけるが、水準点も全国に18,000ヶ所以上あるそうだ。これに対し三角点は全国で107,000ヶ所以上であり、1等三角点が972ヶ所である。最近はGPSを使用した電子基準点を全国に1,231ヶ所設置して毎日観測(測量)しているそうだ。
 平成14年4月1日から日本の位置が修正されたそうだ。GPSによる測定で従来想定されていた地球の大きさが赤道上で1480m大きくなり、東京の位置も約450m南東にズレたそうだ。最近では航空機や船舶が電子航法を使用しているので修正が必要となったと説明してくれた。さらに、VLBI(Very Long Baseline Interferometry:超長基線電波干渉計)手法で電波星を観測して位置の変化を測定している。ハワイは毎年約6cm日本に近付いているそうだ。


君川 治
1937年生まれ。2003年に電機会社サラリーマンを卒業。技術士(電気・電子部門)




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